不定期読書記録

ただひたすらに本の話を

ホーキング、自らを語る

 スティーブンホーキングといえば、言わずと知れた理論物理学者であり、彼の名を聞くと大抵連想されるのはALSという難病と宇宙のこと。彼の「時間小史(邦題:ホーキング、宇宙を語る)」は大ベストセラーとなった事からもそれは明らか。 本書はそんなスティーブンホーキングの唯一の自伝である。以前から一度読んでみたいと思っていた本書を手に取れたことは今の私にとってとても嬉しいことだった。

 私は、この人のそれとは違うけれど難病の診断を受けている患者なので、やはり一番の興味は余命2年とまで言われたホーキング博士が、進行する病気とどう戦いながら研究をし続けたのか、という点だったように思う。しかし読んでみればわかるけれど、よくある闘病記とは一線を画するようにその語り口は非常に淡々としている。しかしそれでいてわかりやすい。沢山の検査を受けても詳しいことを医者は教えてくれない、一体この先自分はどうなってしまうのかという不安、不治の病で余命いくばくもないと知らされた時の驚きと絶望、向かいの病床にいた白血病の少年の死に面し、自分より不運な人は多いのだと、だからくよくよするなと気が塞ぐたびに思い出そうとする様や、神経症的な夢を繰り返しみたという記述…もちろん病気の内容が違うので同義ではないが、似たような種類のいわゆる「辛い」気持ちを味わったことのある自分としては、いかに淡々とした文章であっても全てが胸に刺さるように感じた。

 しかし彼はそこから、婚約をし、そのために仕事につかなければと考え、そのためには在籍中の博士課程を修了しなければならず、勉強に精を出した、というのだ。何ともすごい強さを秘めた方でおられるなあと思う。

 日増しに不自由さを増す身体、子ども達、何度も命を落としかけたこと、二度の結婚と離婚、コンピューター音声となるに至った時のことなど、壮絶な人生があまりにも淡々とした言葉で語られている。

 印象的だったのは終章、病気がわかった当時は不公平、人生もはやこれまでと思ったこと、けれど二度結婚し、子どもにも恵まれ、研究者としても成功を収めた半生を振り返ると満足であること。病気は研究生活の妨げになるどころか、他のことに意識を割かずに研究に専念できたという意味では得をしたようにも思うこと。一介の物理学者でしかないはずの自身が病によって有名になったことに対する複雑な思い。全てを振り返り彼は自身の人生のことを「豊かに恵まれた人生だった。」と称するのだから凄いなあ。孤独や困難とその場その場で向き合っておられる方ほど、幸福も大切に出来るのかもしれない。

 「障害者は自分の欠陥に邪魔されない仕事に打ち込めばいい、できないことを悔やむには及ばない。」という言葉は、めちゃくちゃいいな〜〜!!がんばってやっていきますわ!!という気持ちにさせられた素敵な言葉だった。

今回はこれでおしまい!

 

それからはスープのことばかり考えて暮らした

一番好きな本は?という問いを立てた時答えるのはかなり難しい。

何度読んでも最後には涙が出るような小説も「好き」かもしれないし、重厚な古典文学も「好き」かもしれない、文章がサラサラと流れるように美しいエッセイも「好き」かもしれないし、可愛らしい物語も「好き」かも。 

「それからはスープのことばかり考えて暮らした」のことは、読み終えたその日からとても好きで、この好きはどんなカテゴリーの好きか考えてみると、幸福になれる物語だから好きなのだと思う。

 

路面電車の走る町「月舟町」に引っ越して来た主人公は失業中。住むことになったところの大家さんは「昔のフランス映画に出てくる中庭と屋根裏のついた古アパートのマダムみたいで気取りがなく、ちょっと豪快なところもある」楽しい人。

主人公には、歩いて行ける距離なところに位置する「月舟シネマ」で映画を見る、という趣味があって、失業中なのに週に一回はそこに通うわけだ。彼は新作や、名作をみるためにそこへ行くのではなく、好きな女優が出ている作品を繰り返しみるために月舟シネマに出かけてゆく。主演作品が一本もない女優だけれど、出演したものはどんなものでも観に行く。

そんな主人公はある日、マダムから教えてもらった「トロワ」というサンドイッチ屋さんに行く。三度目の正直(二回仕事を失敗しているから)という祈りを込めて「トロワ」と名付けられたその店のサンドイッチはとても美味しく、それ以来彼は毎日その店を訪れる。

トロワを経営しているのは安藤さん、という男性で、リツくんという小学生の男の子がいる。主人公とリツくんとの掛け合いも

見ものだ。

やがて主人公はトロワで働くこととなり、あることがきっかけで売り上げが落ち込んだ状況を打開するためにスープのレシピを考えてゆくことになる。そして映画館でいつもであう初老の女性ともあるきっかけで会話を交わし、事態はちょっと意外な方向へと進んでゆく…

派手さがある物語とはまるで違う。大きなドラマがあって、主人公たちが協力してそれを解決していくような物語では決してなく、基本的には個性豊かで愛すべきキャラクターたちの穏やかに進んでゆく日常を描いている静かで品のある物語だ。読み進めるに従ってじわり、ジワリとこころがあたたまっていくこと間違いなし、という感じ。

飄々としているマダムがたまに漏らす言葉の深み、母親を早くに亡くしたリツくんから垣間見える孤独、主人公の部屋の窓から見える教会に祈りにやってくるトロワの安藤さん、初老の女性の正体…主人公よりもはるかに長く、豊かな人生経験を持った人たちがゆっくりと優しく彼を導いてゆくわけで、読んでいて本当に心地が良くて幸福で軽快な気持ちになってゆく。

路面電車の走る町、サンドイッチ屋さん、小さな映画館、一番最初に来たお客さんを「一番星」と呼ぶラーメン屋さんなどなど、町の情景もかなりいいと思いませんか?私は思う。

作者の(元々は装丁家の)吉田篤弘さんは、今作を月舟三部作の二作目、としている。あと二作も読んで、すっかり私はこの人のファンになってしまった。

「好きな本は」と尋ねられたらまず真っ先にこの本を思い浮かべるのは、「好き」と「幸福」がまずは一緒に想起されるからかもしれない。

 

 

 

左目に映る星

ネガティブを書かせたらこの人の右に出るものはいない!という何とも私好みで、一般受け良いのかなこれ、と思わず心配になってしまうような帯の言葉を見て思わず買ってしまった作品。本作は奥田亜希子先生のデビュー作にしてすばる文学賞受賞作だ。

主人公早季子は、乱視で左右の見え方が違う。そのことが彼女にとってはずっと特別な感覚で、それを唯一共有できた11歳の頃の奇跡の様な同級生の吉住に恋をして以来、彼女はずっと吉住を忘れられないまま、他者に恋愛感情を抱けないままでいる。そんな彼女がひょんなことから知り合う事となった、純度100%なピュアピュアなアイドルオタクの宮内。片目を閉じる癖と、お互いが虚像を抱えているという事だけがこの、決して交わる事の無さそうな二人を繋げる。

めちゃくちゃネガティブだな、って思ったのが私の最初の感想。

そして大好きだな、という気持ちが次に来た。

早季子は、世間から見ればいわゆるこじらせ女子なのかもしれないんだけど、あるいは早『孤独ぶっている』ということなのかもしれないんだけど、きっと彼女の中の孤独は、誰もが一度は感じた事があって、それを見ないふりしてきたものだと思う。向き合うという事は、非常に難しい。見ないふりをしておけばそれと完全に向き合って立ち向かって戦わなくたっていいんだもの。

彼女が11歳の頃の吉住に言われて忘れられずにいる言葉はいくつかあるが、その中でひときわ心に残ったのは、乱視の目だけで世界を見れば、そこに映るのは全くの別世界で、人と何かを分かち合うという事は難しく、人は究極的に言えばみんな一人で、みんな孤独だということ。それ以来彼女はさめた人になってしまうわけだ。

しかし救いがないのは、吉住君はその脆い世界の象徴である乱視に、コンタクトレンズを淹れる事によって普通の人と同じな感覚を手に入れて、もう早季子と同じ世界にはいなくなってしまったということ、つまり彼女が追い求めているものはもはや虚像なのですよね、もうこの現実世界には存在しない、11歳の吉住という虚像。

そんな彼女がひょんなことから出会った、同じように乱視で、右目を閉じる癖がある青年、宮内。彼はなんともうそれはもう凄くぴゅあっぴゅあなアイドルオタクだった。

不器用で、真面目で、優しくて、純粋な宮内と、根暗でさめていて、孤独な早季子。

全く違う二人の、奇妙な逢瀬。

この小説のラストは、人に寄るかもしれないけれども私は救いだと思った。

それは、一見すれば早季子に対しての救い、という意味だと思われるだろうけれど、その実そうではない。それぞれが異なった、しかし永遠に手に入らない虚像を抱えた真逆の人間二人ともにとっての救いであったと思う。

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はじめまして

本はいつもそばにいてくれる友人の様な大切な存在。

悲しい時には、その悲しみにそっと寄り添い、

嬉しい時には、その気分をもっと盛り上げてくれる。

「物語」というものが持つ力はあまりにも大きなものであると思う。

私は昔から、読書をする事が一番の趣味で、数少ない友人たちからは変わりものだと思われるような事も良くありました。

一度は離れようと思った事もあるけれど、やはり読書というものは、私の人生においてなくてはならないもので、気が付けば家は本だらけに。

今まで読んで心を動かされてきた作品について、ここでは不定期に綴っていこうと思います。どうぞ宜しくお願い致します。